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惻隠の心 120円

東北の友人と連絡が付いた興奮が冷めて
僕にも何か出来ることはないかな
そう考えました

そのときにふと先輩のことを思い出しました
敬虔なキリスト教徒で寄付をよくしていた先輩
10年前の僕は

「寄付するってお金いっぱいあるんですね」

軽く言いましたが
彼女はこう答えました

「私の働いて稼いだお金は家族のお金。家族のお金は自分の信仰に使うわけにはいかない。」
「チラシを見て高い商品と安い商品を見つけたら安いものを買ってその差額をためておいて寄付をする」

ただお金を寄付するんじゃなくて
欲しいもの、おやつ、弁当のおかずを一品減らして
こつこつためた尊いお金を寄付していたんです、彼女は。
本当、今でも馬鹿なことをいったなぁと
自分が恥ずかしいですね

ぼくも先輩にあやかって
毎日、仕事の帰りに買っていたコーヒーをやめて120円ずつ貯めることにしました

どこに寄付すれば良いのか悩んでいると
tonamiyyさんが
赤十字はどう?と、教えてくれました
調べてみると
東北では薬も医者も足りていない様子
ここにしよう
僕みたいな馬鹿は
色々考えるよりまずは行動です

赤十字だとスーパーや本屋さんなど
たくさんの募金箱があります
身元のしっかりしたお店なら問題はないでしょう
ネット経由だと個人からは2000円からしか寄付できないので
僕にはこっちのほうがむいてますね

他に無駄使いはないかな
しかも
無理をするのではなくて
自分が得するもの

コーヒー毎日一本飲んでたら
太ります
これは僕のためにもなるんです


僕はボランティアって訳すると「奉仕」じゃないと思うんです
奉仕は自己犠牲の上になりたつ行為です

僕には海外から来ている友人が何人か居ますが
日本人のような自己犠牲はしていませんでした

自分のいらなくなった物や
捨ててある物を集めたり
そういったものをアフリカに送る手伝いを
何度かしたことがあります
彼女達は
お互いのために
当たり前のことをしていました
多分
僕たちは翻訳を間違えたんですね

ボランティア = 相身互い

こうだったんじゃないかな
日本にも良い言葉があったはずなんです
奉仕って言う言葉は本来、主君に仕えたり、師匠に仕えるとか宗教で使う言葉
僕たちの日常で使う言葉じゃないはず

ボランティアってそんな仰々しいものじゃなくて
もっと身近なものじゃないとおかしい
少なくとも僕の海外の友人たちは
自分を犠牲にして、人助けをしているとは思っていません
困っている友達に「大丈夫?」て聞くだけでも良いと思うんです
これだって立派なボランティア
むしろボランティアなんて言葉を使うからややこしいのかも

中国では
こういうもやもやっとした思いを
人にしのびざるの心
惻隠の心とあらわしました
井戸に落ちそうな子どもに
手を差し伸べる
そこに思惑や余計な思いなんかないんです
ただ、人を想い、しのびないと考えた
それだけなんです
僕にとっての募金は
それだけなんです

よく日本人はお金だけ出してボランティア活動(現地での)をしないといわれますが
僕はそうは思いません
そのお金にもちゃんと意味があったはずなんです
お金を数字の羅列で見ていると
そんな発想になっちゃうのかもしれませんね
1円でも稼ぐことは尊いことです
1円でも節約することは尊いことです。
その1円が集まった集合体として寄付金総額なんてものを見たら
すさまじい数の想いが集まっていることに気がつくはず
僕は僕の想いを届けたいな

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